「その時ニコ生ゲーム界が動いた」最終稿:~兵どもが、夢と過渡
2010年6月~2011年~
飽くまで実感に過ぎませんが、
放送枠がおおよそ2000から3000くらいになった時点で、
筆者が感じていた空気というものは、
およそこの頃から形を成して行き、
いまではすっかりその空気こそがニコ生ゲーム界全体を包み込んでいます。
それは、「視聴者と放送者の同一性」です。
先ほどの項で、「発信者と受信者が一つのものを作り上げていく」ことの素晴らしさを書きましたが、
じゃあ、視聴者と放送者が同一であることは、いいことなんじゃ?という疑問もあるかもしれません。
しかし、この2つには根源的な違いがあります。
「見る人」が「やる人」を「すごいな」と思う。
これが放送の一番シンプルな関係性です。
「見る人」と「やる人」には、やはり壁がなくてはならないのです。
壁があるにもかかわらず、「それぞれの立場として」協力すること。
それが筆者の感じていた当時の大会の感動でした。
さて、では「見る人」がなんの苦労もなく「やる人」になれるとしましょう。
その時、過剰となった「やる人」の、全てが「すごいな」と思わせるものが作れるでしょうか?
枠数の増加、ツールの充足、システムの改善、手引きページの親切さ。
これらはある意味で「視聴者」という存在を曖昧にしてしまいました。
そして、広く広くなったニコ生世界は、同時にその密度を小さくしていくことになります。
あらゆる「大会」は縮小化、分断化し、また新たな「大会」はその規模自体が小さくなり、
結果、一番初めの大木、「DQRTA駅伝」の掲げていた「RTA大会の信念」のような目標は、
どんどんと薄くなっていきます。
信念のある大会が優越する、のではありません。
ただ、信念のない大会に、歴史はありません。
なので歴史を語ってきたこの文章も、ここでひとまず終わりです。
・・今も第一線で機能しているニコ生ゲーム大会が、
かつて最初に作られたあの素晴らしい大木のように、
これからも枯らすことなく育てていけることを願ってやみません。
(了)
おまけ→http://ch.nicovideo.jp/gmQ/blomaga/ar132575