SFC風来のシレン研究ノート

元々ブロマガでやってたやつ

2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「その時ニコ生ゲーム界が動いた」~前置きの前置き

(※重要※)本文中に現れる人名は全て(当時の)HNです。本来ならイニシャル等にすべきかもしれませんが、資料的な面での意味、本人様へのリスペクトを含む意味、読みやすさの面から、そのように書いていきます。ただし、本人他人を問わず、一度でもストップ…

「その時ニコ生ゲーム界が動いた」~前置き

「ユーザー生放送とは、ユーザーがニコニコ生放送を行えるサービスである。2008年12月12日、ニコニコ動画(ββ)と同時に開始されたニコニコ動画の関連サービスの1つ。」運営が様々な番組を配信してきた「ニコニコ生放送」で、ユーザーもオリジナルの内容を配信…

「その時ニコ生ゲーム界が動いた」1:50枠~150枠時代

2008年12月12日サービス開始からおよそ3ヶ月くらいのことです。この頃のニコ生には、サービスとして難易度の高い点がいくつもありました。・放送前にまずコミュニティを作らなければいけないという手間 ニコニココミュニティが作られて(2008年7月4…

「その時ニコ生ゲーム界が動いた」2:~240枠~800枠時代

2009年4月~2009年7月さて、枠数が少しずつ増えていくと、当然多種多様なゲーム生主が増えていき、視聴者はそれぞれ好みの方に、好みのゲームに、散らばっていきました。ところがこのあたりの時代ではまだまだ(実感でしか無いですが)、放送者数…

「その時ニコ生ゲーム界が動いた」3:~そのとき大会すら動いた

2009年7月~2009年9月2009年6月、生主8名で始まったmagewappa氏主催のRTA対決。その閉会式は来場者900、コメント4000に迫る、当時のニコ生ゲーム界では(おそらく)ぶっちぎりの数値でした。(もちろん、ネタ的な意味でのコメント…

「その時ニコ生ゲーム界が動いた」4:~「駅伝」という発想

2009年10月12日さて、「大会」という根が生え、芽が伸び始めたこの時期。今後もしばらくmagewappa氏の大会は続いていくのですが、10月、ついにニコ生ゲーム界に一つの金字塔が生まれます。「DQRTA駅伝」第一回の開催です。元々RTAプレイヤ…

「その時ニコ生ゲーム界が動いた」5:~襷の広がりと収束

2009年11月~2010年5月DQRTA駅伝は回を重ねる毎により洗練、完成されて行き、その規模も大きくなって行きました。大会の運営をする上で、クリアの瞬間を判断する「タイムキーパー」、放送だけを担当する「ミラー班」、動画を作るための「録…

「その時ニコ生ゲーム界が動いた」最終稿:~兵どもが、夢と過渡

2010年6月~2011年~飽くまで実感に過ぎませんが、放送枠がおおよそ2000から3000くらいになった時点で、筆者が感じていた空気というものは、およそこの頃から形を成して行き、いまではすっかりその空気こそがニコ生ゲーム界全体を包み込ん…

「その時ニコ生ゲーム界が動いた」エピローグ:ニコ生は衰退しました?

なぜこの文章を書いたのか、それを一応もうちょい柔らかめに書いておきます。いつか運営がゲーマスとか言ってシレンの大会を公式でやってましたが、うわ、これユーザーの大会の方が絶対面白いじゃん。と思ったことが少しあります。(この辺、言いたいことが…