SFC風来のシレン研究ノート

元々ブロマガでやってたやつ

「その時ニコ生ゲーム界が動いた」4:~「駅伝」という発想

2009年10月12日

さて、「大会」という根が生え、芽が伸び始めたこの時期。
今後もしばらくmagewappa氏の大会は続いていくのですが、
10月、ついにニコ生ゲーム界に一つの金字塔が生まれます。
「DQRTA駅伝」第一回の開催です。

元々RTAプレイヤーとしてニコ生界でも高レベルに位置していたtaka_o_a氏。
「軍団」とも呼称されていたリスナー達から(なぜか)異様なカリスマ性を発していたゲーム放送主スービエ氏。

以前のDQ1RTA大会に参加した技術的なプロ。視聴者を惹きつけるプロ。
この完成された相性の二人が打ち上げた企画こそが
「DQRTA駅伝」だったのです。

基本ルールとしては、ドラゴンクエスト1~6までを連続してチームメンバーがプレイし、
さらにそれを3チーム作って団体戦とする、6人のタイム合計値で競う、まさに駅伝RTA対決です。

筆者が思うに、ある程度大きな企画を作るために必要な基盤を、
この大会はこの時点でほとんど全て取り揃えていたように思えます。
今では当たり前(?)になっている以下のような構成、意図を、ふんだんに含んでいたからです。

・チーム戦、という点(視聴者の応援方向が分散しすぎない)
・統一された複数のゲームを連続して行う、という点(参加者が多くてもゲーム数も多いため視聴者が飽きない)
・ゲーム毎のプレイヤーを解説者として用いる、という点(初見視聴者でもある程度見れる)
・「ミラー役」という形式、またそのための「ミラー担当」(本部と参加者放送との分離)
・「動画で大会を盛り上げる」という発想(「動画作成者」という視聴者参加性も含む)
・「RTAをもっと親しんでほしい」という理念(大会開催の意義の明示)

いずれも、その小さな種はそれまでの大会にもありました。
しかし、その全てが集約され、しかも「競技」としての性質ももった純然たる「大会」が行われたのは、
おそらくこの企画が始めてだったのではないかと、今でも思います。

企画参加者だけでも18名、関係者を含めると20人を軽く超え、
12000を超えるコメントで終わったこの大会の閉会式。
それはニコ生ゲーム大会の可能性という大木の根を改めてしっかりと広げた、
大きな意味での開会式でもありました。

ちなみにこの大会参加者18名は、この後の歴史にも関わってくる方達ばかりでした。
もともとの潮流を作ったmagewappa氏。
冷静明晰、努力家お茶目(?)な、後に駅伝運営の一旦を担うゆきぐに氏。
他にも、後に駅伝の運営や解説担当を行うLamp氏、aeuler氏、TAKECOVER氏。
いまだにプレイヤーとして大会参加しているだい氏、ま~氏、トマトごはん氏。
そして・・・次回のキーパーソン、しあ氏がそこにはいました。

次→http://ch.nicovideo.jp/gmQ/blomaga/ar132577