SFC風来のシレン研究ノート

元々ブロマガでやってたやつ

「その時ニコ生ゲーム界が動いた」5:~襷の広がりと収束

2009年11月~2010年5月

DQRTA駅伝は回を重ねる毎により洗練、完成されて行き、
その規模も大きくなって行きました。
大会の運営をする上で、クリアの瞬間を判断する「タイムキーパー」、
放送だけを担当する「ミラー班」、動画を作るための「録画班」。など、
多くの運営関係者が「視聴者からも」集められました。

この流れはらくぅ氏主催のマリオRPGの大会、風来のシレン関係の大会(この時期で第6回まで継続)、
駅伝から派生したドラゴンクエストの大会などでも一部取り入れられ、
一つのスタンダードになりつつありました。

振り返ると、ニコ生、いやpeercastすらも含む歴史の中で、
「視聴者」と「放送者」の間には基本的に大きな壁がありました。

ところがこの「大会」という名目で、
ユーザーのみが、発信者受信者一つになり、イベントを作り上げていく。

この大木が作られたこの時期は、自分にとってもっとも感慨深い流れでした。

さて、ドラゴンクエストファイナルファンタジーがしのぎを削っていた時代についてはもはや過去の時代、ではありません。
2010年5月、DQRTA大会第一回の参加者しあ氏が、
満を持して「FFRTA駅伝対決」を立ち上げます。
ファイナルファンタジー特有の自由で有用なたくさんのバグについての、
ルール整理、ムービーの扱いなどPSシリーズを含むことによる問題点など、
独特な壁を超えて、大会は無事閉幕を迎えます。


・・・この頃になると、枠数は3000。
マリオ・ドラクエ・FFといった大概の有名ゲームには総合コミュニティが出来ていました。

DQ駅伝総合とFF駅伝総合に関しては駅伝としての繋がりもありますが、
ゲームとしての世代の近いこれらの運営関係者にとって、
それぞれのゲーム自体、どれも魅力的。

特にSFC風来のシレン総合とDQ駅伝総合、ロマサガ総合コミュニティあたりは、
運営関係者が色々な大会、コミュニティの枠を超えて協力しあう事もよくありました。

これらの総合コミュに、別ゲームの総合リンクが張っているのはそのなごりです。


・・さて、放送者の拡大によってプレイされるゲームの種類は膨大に増え、
大会の数・種類はもはや「大イベント」とは言えない物も現れてきます。
そしてなにより、ある意味で致命的な問題点が、この後のニコ生ゲーム界には起こりつつありました。

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