SFC風来のシレン研究ノート

元々ブロマガでやってたやつ

「その時ニコ生ゲーム界が動いた」2:~240枠~800枠時代


2009年4月~2009年7月

さて、枠数が少しずつ増えていくと、当然多種多様なゲーム生主が増えていき、
視聴者はそれぞれ好みの方に、好みのゲームに、散らばっていきました。

ところがこのあたりの時代ではまだまだ(実感でしか無いですが)、
放送者数に対して視聴者数の方が圧倒的多数派だったように思います。

一方、放送を初めた生主の方は、サービス初期によくある流れとして、
実にいろんな志向で放送を行い、視聴者を盛り上げてくれたものです。

ここではその具体的な方々について、多くは語りません。
というより、語れない、というのが正しいところなのです。

・・この時代は明白に「視聴者」と「放送者」という関係が、綺麗に揃ってきた時代だと言えます。
たとえば100枠時代では、好き嫌い合わせてかなりの割合の放送について、
一人の視聴者が把握できた時代でした。それほど「放送者」の絶対数が少なかったのです。

僕も今ではすっかり見なくなった、「歌ってみた」放送や「動物」放送なんかを、
好きな枠が見れない時の繋ぎとしていたりしたものです。
(確かこの時はまだ参加コミュニティが放送しているかどうかが表示されてなかった)

ところがこの時代になると、視聴者の「お気に入りの生主を探す」という選択幅は大きく広がり、
結果、それぞれの放送がそれぞれの盛り上がりをする、
それよりも面白い放送があればそちらへ移動する、
戦国時代のような様相ですらありました。

その全てを語ることは、おそらく不可能でしょう。


さて、件のmagewappa氏について、もちろんこの時期も縛りプレイ等で視聴者を沸かせていたのですが、
6月28日。ある企画を実行に移します。
それは「生主RTA対決」。

生主同士でRTA(実時間でのタイムアタック)を競い合う、
という現在ニコ生ゲーム界イベントとしても存在する潮流の、ごくごく原点になった企画です。

実は、それまでも例えばライム.氏などが生主対抗ゲーム対決を、
1月の時点から(!)開催していらっしゃったのですが、規模はそれほど大きくなりませんでした。

一方でmagewappa氏の大会がここから発展していくことには幾つもの因果と必然がありました。

・そもそも、magewappa氏の知名度が高く、初回でも視聴者が多かった
・生主と生主が交流、同時に放送する、ということ自体が少なく、それ自体が盛り上がった
・しかも知名度の高いmagewappa氏には既に視聴者を抱えた生主が集まりやすくなっていた
・生主自体の質・量もどんどん上がりつつあった
・「RTA」という要素をニコ生に持ち込んだ(ここはおそらく初めてではないですが)

RTAというプレイスタイル自体はそこそこ名は知れていたものの、
それを大会ルールに採用し、さらに多くの視聴者に紹介することとなったこの日。
現在のニコ生ゲーム界をご存知の方々なら、
これがどれだけ後の世の影響を与えたかある程度感じていただけるかもしれません。

このことはまさに、ニコ生界の「ただのゲーム放送」が、「競技を伴ったメタコミュニティの可能性」へと変貌した、
一つの歴史の転機であったといえるでしょう。

次→http://ch.nicovideo.jp/gmQ/blomaga/ar132579