SFC風来のシレン研究ノート

元々ブロマガでやってたやつ

「その時ニコ生ゲーム界が動いた」1:50枠~150枠時代

2008年12月12日

サービス開始からおよそ3ヶ月くらいのことです。

この頃のニコ生には、サービスとして難易度の高い点がいくつもありました。

・放送前にまずコミュニティを作らなければいけないという手間
 ニコニココミュニティが作られて(2008年7月4日)から、半年も立っていない状態で、
 この制限を知ってから初めてコミュニティの存在を知った人も多くいたと思います。
 (ちなみに、12月12日時点でのコミュニティ数はおよそco6000~6100くらい。
  4桁コミュニティが古参と称されるのはこれが所以です)

・放送環境そのものの難しさ
 ニコニコ生放送に特化したツールなど、もちろん全くない時代です。
 更に歴史を遡れば、peercastやなんでも実況(2ch)などの自己配信系サービスがありはしましたが、
 既に放送準備が整っている人でないと、なかなか放送を開始すること自体が困難でした。
 
・「枠数」の厳しさ
 当時を知っている人には言うまでもなく、このころの枠数にとって、
 「枠取り」とは完全な苦行の一つでした。
 単純に全体ユーザーの量に枠が追いついてない、ということだったのですが、
 「枠を開始する」というボタンを6時間クリックし続けた方がいたという話も聞きました。
 それを聞いても別に伝説クラスになるわけではなく、
 「ああ、そういうことも有り得そうだよね・・」という、そんな空気すらありました。

・「ゲーム生放送」のメリット
 当然、時代はニコニコ動画全盛期。
 ゲーム界にしても、「ゲーム実況動画」がすでに盛況であった時代、
  そこまで苦難の道を乗り越えて、ただゲームをするだけの放送に見合うだけのメリットがあるのか?
 ・・この疑問点は、時間とともに杞憂であったと思わされるのですが、
 ほとんどのユーザーにとって、「よし、ゲーム放送を始めよう」と思わせるには少々大きすぎる壁でした。


にも関わらず、この時代にもゲーム放送者はもちろんいました。

そのうち、特筆すべき二人をここで挙げておきます。
それはmagewappa氏と左官氏です。

彼らのゲームスタイルはある意味でシンプル。「苦行プレイ」でした。
どちらも主に行なっていたゲームはドラゴンクエスト左官氏はずっとDQ3(FC版)だったのですが、
magewappa氏は睡眠を縛り、左官氏はシステムを縛る、という、今ではごくごくありふれたスタイルです。
しかし、まず
・ゲーム枠そのものが少ないこと
・ゲームに企画を載せるということ
これが揃い、かつ視聴者を存分に楽しませるという点で、このお二人は突出していたと言えます。

当然、上で述べた通り、まだまだ枠取りに現在をはるかに凌駕する努力があった時代。
視聴者は枠が閉じるたびに、新しい枠が何時始まるのか、番組リスト(100枠時代で2ページくらいしかなかった)
をひたすらクリックし続けていたものです。
特にmagewappa氏の「寝ない・縛りプレイ」に関しては
この意味で視聴者すらも縛りに参加していた、という空気。その独特なワクワク感がありました。
この「視聴者としての楽しみ」という観点は一つのキーワードになり続けますが、それはいつか後述します。


しかし左官氏は2009年1月、惜しまれつつの引退を表明なさいました。
生放送の枠数が70から100枠に改善される、ほんの5日前のことでした。
・・ちなみにmagewappa氏がFFVを27時間以上寝ずにクリアした、まさにその日のことでした。


さて実際には、(確か)このあたりから「自動枠取りツール」や「コメントビューアー」のようなツール、
放送解説ページなども充実し始め、生放送という文化の萌芽が少しずつ開き始めた時代でした。
その分150枠の時代は、「早く枠数増加を」の声が最高潮に上がっていき、
その先からがまさに群雄割拠、高度放送成長を迎える時期となります。

そこでもやはり歴史の転換を創りだし、ニコ生ゲーム界を一つ上の領域にシフトさせたのは、
かつての勇士magewappa氏、その人だったのです。

次→http://ch.nicovideo.jp/gmQ/blomaga/ar132580